琴勝峰 吉成(ことしょうほう よしなり、1999年 8月26日 - )は、千葉県 柏市出身で、佐渡ヶ嶽部屋所属の現役大相撲 力士。 本名は手計 富士紀(てばかり としき)身長190cm、体重159.3kg(2019年9月場所現在)、血液型はO型 。 最高位は西前頭5枚目(2020年11月場所)。 2人で勝ち越せて良かったです」とコメントしている[44]。最終的のこの場所は11勝4敗で技能賞を獲得。2018年1月場所は、三役から平幕に落ちる星の力士がいなかったため、前場所から2枚半上昇にとどまる東前頭筆頭で迎えた。平幕で11勝の翌場所に三役に昇進できなかった例では、最も少ない昇進幅となった[45]。この場所不調の白鵬から金星を獲得した以外は振るわず、最終的に自身初の2桁黒星となる4勝11敗の大敗を喫した。因みに4場所連続金星獲得は幕内では1999年5月場所の土佐ノ海以来史上2例目[45]。続く3月場所は5枚半下降とやや番付運に恵まれ西前頭6枚目の地位に就いた。9月場所は初日から7連勝で、特に序盤の5番は5勝中4勝が押し出しと押しが冴えに冴えていた[46]。この場所は後半失速して9勝6敗に終わるが、勝った9番中6番が押し出しであった。2019年1月場所は6日目から2日連続で不戦勝を勝ち取る幸運に恵まれ(後述)、9勝6敗の勝ち越し。これによって続く3月場所は新小結(西小結)となったが、大関以上には角番大関の栃ノ心にしか勝てないなど幕内上位の壁に阻まれ、11日目に負け越しを確定させた。時事通信も「存在感示せず」と残念がり、本人も場所中の支度部屋で「三役になって満足をしてしまったのかも。もっと向上心を持たないといけない。地力、馬力もまだまだ足りない」と反省の弁を続けた[47]が、残りの4日は全勝して7勝8敗と負け越しを最小限に留めた。9月場所は1番も勝てず休場した白鵬からの金星を除いて大関以上からは白星を奪えず、7日目まで1勝6敗と上位の壁に阻まれたが、残りの小結以下との対戦では全勝して9勝6敗と勝ち越した。三役に復帰し、自己最高位の東小結で迎えた九州場所は、三役以上からの白星は関脇の御嶽海と不調の大関の高安からのみで、6日目まで4勝2敗と序盤は好調であったものの7日目から5連敗と途中から崩れ、13日目に負け越しを確定させる。残りを2連勝して7勝8敗と踏みとどまったが、平幕への陥落は決定的となり三役の壁に阻まれた結果となった。, 東前頭2枚目の地位で土俵に上がった2020年1月場所は11勝4敗。序盤戦で2横綱(白鵬戦は不戦勝)、2大関を破った押し相撲が評価されたことからこの場所は技能賞を受賞[48]。, 2017年7月場所後の座談会で錣山(元関脇・寺尾)が語ったところによると、アマチュア時代は捌いて勝つ相撲であったが、角界入り後は立合いの当たりで一遍に決める相撲へ変わった[49]。報道ではしばしば「力強い」と評されることがある[50]がどちらかというとパワー一辺倒ではなくバランス型に近く、突き押しの他に上手前褌を狙っての寄り、投げ、引き、いなしを使って相手を処理する。頭から当たって左を差すのが主な勝ち筋であり、猪突猛進でないためか2017年7月場所などは5秒以上10秒以内で終わった相撲が7番であった[51]。懸念材料としては右膝の怪我があるが、錣山によると稽古熱心さでそれを補っているという[49]。2017年9月場所前の座談会では舞の海から「押し一本だと、この先厳しいかもしれません。ひざの故障もあるし、ずっと押しだけでいくと限界があると思います。押して駄目な時は前みつを取って食い下がるといった相撲があれば、取り口の幅も広がっていくと思います。体質、体型もあるでしょうけど、もう一つ、プロとしての尻や太もも、膝の上あたりにこぶが欲しいですね」と言われている[52]。おっつけの威力は相当のものがあり、2017年11月場所2日目に御嶽海を破った際には「おっつけが良く、相手の肩からみちみちという音が聞こえた。今年の(最高の)一番を更新ですね」と本人が取組後に振り返っている[53]。そのおっつけが評価されて2017年11月場所は技能賞を獲得している[54]。一方、2018年1月場所の相撲を14代二子山は、貴景勝、御嶽海、阿武咲とまとめて「自分はこれが強いというものがあまりないですね」と指摘しており、御嶽海以外の共通点として「押し込んですぐに叩きに行く」と相撲のワンパターンさを突っ込んでいる[55]。2019年3月場所前に14代ニ子山は自身のコラムで、横綱・大関相手だと頭から当たる良い相撲を取るが、平幕が相手だと手を出して立合いを止めようとして星が挙がらなくなるという傾向を指摘した[56]。2019年3月場所3日目の栃ノ心戦のように左おっつけ右のど輪で廻しを取らせずに相手を遠ざけて勝つ相撲が北勝富士の理想の相撲であり、本人も「まわしを引かれたらアウトだと思っていた。それだけ圧力をかけていくのが自分の相撲」と語っていた[57]。2020年1月場所3日目に鶴竜から金星を奪った際にも右のど輪が決め手となった[58]。, http://www.jiji.com/jc/article?k=2016052500194&g=spo, http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/11/01/kiji/K20161101013638830.html, 敗れて技能賞を逃した嘉風「いろんなものが懸かっていたので(体が)動かなかったかもしれない。文句なしでもらえるようにしたい」, 飲んで食って勝つは昔の話 - 大相撲裏話 - 相撲・格闘技コラム : 日刊スポーツ, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=北勝富士大輝&oldid=80147789, 高校時代から新入幕の頃まで毎日稽古場で気付いたことをノートに書きこんでいたが、入幕からしばらくすると書けていない状況になった, 2017年の夏巡業中、北勝富士は「日体大4年の時に(青森)十和田大会で団体戦で優勝したんです。次の日は、高校生の試合を見るために十和田に泊まって、メンバーで, 2017年8月26日の夏巡業所沢場所では巡業会場を後にする際に、後援会長が所有する4000万円の真っ赤なフェラーリで送迎された, 花道を下がった時点で敗因は分かっているので、Youtubeで負けた試合を分析することはしないと、2017年11月の記事で述べている, それ以前から胃腸が強い方ではなく、新三役となった2019年3月場所は勝ち越さなければならないというプレッシャーによって初日からずっと毎朝5時半頃に腹痛がしていた。ところが11日目に負け越して就寝すると、吹っ切れたため朝になると治っていた, ライバルは御嶽海。中学時代の頃からライバルとして意識しており、中学3年生の都道府県大会ベスト8で御嶽海に勝った時は物凄く嬉しくて、思わずガッツポーズが出た。, 1ヶ月前の自分より強くなることを目標として、大学生時代より1ヶ月に1度、自身の肉体を前後左右より撮影し続けている。写真を見比べて自身の成長度合いを確かめているという, リラックス方法としては趣味のYoutube閲覧とダーツに加え、酒、カラオケ、ヒーリング音楽を取り入れている, ある時は黒酢、ある時はタマネギ、またある時はバナナといったように、 験担ぎのために時期によって様々な物を飲食し続けている, 番付発表後から千秋楽まで、後援会関係者との食事であっても酒を一滴も飲まない。睡眠時間を含めて生活のリズムを崩したくないという, 北勝富士の活躍にあやかって「北勝富士」という名の焼酎も作られている。大関になったら所沢航空記念公園に自分の銅像を建てるという話もあるという, 2017年5月9日、「北勝富士を応援する会」の内野正幸会長から「ウチノ看板(株)」名義となる自身5本目の化粧まわしを贈呈された。 北勝富士は「これまで4本(化粧まわしを)持っていますが、すべて色違い。青(い房)がきれい。僕のラッキーカラーでもあるので」と興奮気味, 2017年1月28日、母校の市立南小と市立南陵中をそれぞれ訪れ、児童・生徒と交流した。力士として初めて両校を訪問した北勝富士は、子どもたちに「一生懸命やれば必ず成功する。夢に向かって頑張って」と呼び掛けた。北勝富士は小学校の卒業アルバムに「ぼくは、相撲取りになり横綱になりたいです」と夢を記したエピソードを披露。自身の小学生時代を「相撲の稽古、遊び、勉強に一生懸命だった」と振り返り、子どもたちに「とにかく一生懸命やってほしい」と呼び掛けた, 妻とはミュージカル鑑賞が共通の趣味で、自身6度目の鑑賞となる『ライオン・キング』の鑑賞後、誰もいなくなったロビーで北勝富士はプロポーズしたと伝わる, 横綱・白鵬には3勝8敗(不戦勝1含む)。直近の自力勝利は2019年9月場所で決まり手は寄り切り。2020年1月場所は不戦勝。, 横綱・鶴竜には4勝5敗(不戦勝1含む)。直近の勝利は2020年3月場所で決まり手は送り倒し。, 大関・貴景勝には6勝9敗。貴景勝の大関在位中は北勝富士の4勝2敗。直近の勝利は2020年9月場所で決まり手は押し出し。, 大関・朝乃山には2勝7敗。朝乃山の大関昇進後は2敗。直近の勝利は2019年9月場所で決まり手は押し出し。, 大関・正代には1勝6敗。いずれも正代の大関昇進前における対戦成績である。直近の勝利は2020年7月場所で決まり手は突き落とし。, 元大関・琴奨菊には3勝5敗。いずれも琴奨菊の大関陥落後においての対戦成績である。直近の勝利は2018年9月場所で決まり手は押し出し。, 元大関・照ノ富士には3勝1敗。照ノ富士の大関在位中は北勝富士の2勝。直近の勝利は2017年11月場所で決まり手は押し出し。, 元大関・髙安には6勝6敗(不戦勝1含む)。髙安の大関在位中は北勝富士の5勝5敗(不戦勝1含む)。直近の勝利は2020年1月場所で決まり手は押し出し。, 元大関・栃ノ心には4勝5敗。栃ノ心の大関在位中は北勝富士の3勝1敗。直近の勝利は2020年9月場所で決まり手は押し出し。. 貴景勝、照ノ富士が6戦全勝/両関脇4勝目、千代の国も無敗 11/13 18:41 貴景勝、照ノ富士が5連勝/新大関正代は休場 11/12 18:46 北勝富士 大輝(ほくとふじ だいき、1992年7月15日 - )は、埼玉県所沢市久米出身で、八角部屋所属の現役大相撲力士。本名は中村 大輝(なかむら だいき)。身長185cm、体重164kg、血液型はA型[3]。得意技は押し。最高位は東小結(2020年3月場所)。好物はステーキ、寿司。嫌いなものは梅干し、辛い物[1]。所沢市出身者初の幕内力士[4]。平成4年度生まれの関取を指す、「花のヨン組」の1人[5]。, 乳児期には9つ上の姉がミルクやおむつの世話をしばしば行っていたが目を離すとすぐにその場からいなくなる子であったため、外を歩くときは縄跳びの縄で縛って犬の散歩のようにして、どこかに行ってしまわないようにされた[6]。幼稚園児の頃、デパートで迷子になる度に自ら迷子係の所へ行き「お母さんが迷子になっているから、放送してください」と頼み、次第に両親も中村がいなくなっても心配せず放送を待つようになった[6]。幼少期よりサッカーや水泳など多くのスポーツに親しんでおり、おむつをつけているときからやっていたスキーの腕前は3歳の頃に上級者コースで滑るほどであった[6]。所沢市のわんぱく相撲で小学2年生、3年生のときに続けて同じ相手に負けて準優勝に終わったため、優勝トロフィーが欲しさに[6]所沢市立南小学校4年生から地元の相撲道場である入間少年相撲クラブに通った[7]。クラブに通ったばかりの頃は弱く、稽古でも同級生に勝てず大会でも1回戦で負けてばかりであったため、親から「お前、見込みないからやめちゃえ」と言われたこともあり、本人はそう言われるたびに歯を食いしばって稽古した[6]。小学5年生の頃から急激に強くなり、埼玉県内では無敵になった。6年生のときにクラブが埼玉県の大会で初めて優勝して監督が喜んだのは中村にとって良い思い出である[6]。所沢市立南陵中学校では柔道部に所属し、市大会で優勝の実績を持つが、相撲の大会と日程が重なったため県大会は欠場した[8]。相撲のほうは中学2年生で立川錬成館に移籍[9]。3年次に全国都道府県中学生相撲選手権大会で優勝している[10]が、うれしさのあまり気持ちが高ぶって過呼吸になったため団体戦は欠場した[6]。埼玉栄高校に進学すると3年次に高校総体で優勝し、高校横綱のタイトルを獲得した[11]。埼玉栄高校の相撲部監督である山田道紀からは挨拶や礼儀、相手を思いやる気持ちや感謝の心を学んだ。相撲が取れるのは周囲の人物のおかげであり、決して当たり前のことではないということを学んだ[12]。日本体育大学体育学部武道学科進学後は2年次に東日本学生相撲個人体重別選手権大会135キロ以上級に優勝[13]して個人初タイトルを獲得。同じ年には全国学生相撲選手権大会で個人優勝し、大相撲の幕下15枚目格付出資格を獲得した[14]。3年次には国体の相撲競技成年男子の部で優勝し、タイトル獲得から1年間しか行使できない幕下15枚目格付出資格を再取得[15]。しかし、大学まで行かせてくれた両親のことや、当時履修中だった教職課程のことがあって中退はせず[16][17]、最終的に大学では個人タイトル13冠となったが[18]、4年次に幕下付出資格を得られる3大タイトルを1つも獲得できずに幕下付出の権利を失った[19]。, 大学卒業後は八角親方(第61代横綱・北勝海)の相撲に憧れて八角部屋に入門[20]。入門の動機として八角部屋のゼネラルマネージャーである長谷川秀一に誘われたという点も大きい。[1]2015年3月場所で初土俵を踏み、前相撲は2連勝で1番出世[21]。入門同期生には御嶽海、宇良らがいる[22]。初めて序ノ口の番付に名前が載った5月場所は4日目に宇良に破れてプロ初黒星を喫したが、残りは全て勝って6勝1敗[23]。序二段で迎えた7月場所は、両目の結膜炎で稽古不足ながら、7戦全勝で宇良との優勝決定戦に進み、雪辱を果たして序二段優勝[24]。続く9月場所は三段目で7戦全勝優勝[25]。11月場所で幕下に昇進後も4場所連続で勝ち越し、負け越し知らずで2016年7月場所での新十両昇進が決定した[26]。7月場所の大相撲中継の新十両紹介コーナーでは「御嶽海関を超すのが目標」と話し、この場所は10勝5敗の勝ち越しに終わった。[27]十両2場所目の9月場所では初日黒星発進から最終的に12勝3敗の好成績を挙げて十両優勝を果たした。この好成績により11月場所では新入幕を果たし、同時に四股名を「北勝富士」に改めた[28][29]。前相撲から所要10場所での新入幕は年6場所制が定着した1958年以降に初土俵を踏んだ力士としては大砂嵐に並び2番目のスピード出世[30]。北勝富士は福岡市南区の八角部屋の宿舎で新入幕会見を行い「早く番付を駆け上がりたいという強い気持ちでやってきたのでうれしいです」と喜びを語った。さらに「名前を汚さないようさらに精進して頑張りたいです」と決意を語り、今後対戦したい力士として同学年で大学時代にしのぎを削った新小結・御嶽海と同じ高校の先輩の大関・豪栄道を挙げた。八角親方は「いい名前と言われるかどうかは自分の頑張りしだい。新入幕でどこまでやるか楽しみだね」と期待を寄せていた[31]。10月3日、所沢市役所を訪れ、藤本正人市長に優勝を報告した。北勝富士は「偉大な二人の名前をいただいたので、一層稽古に励みたい。どんどん前に出て、相手の嫌がる相撲をしたい」と力を込めた。市側から市観光大使への就任を要請された北勝富士は、これを快諾した一方、藤本市長に地元の後援会長就任を要請。藤本市長は「横綱を目指して頑張って」とエールを送った。[32]この新入幕の場所では9勝6敗と勝ち越した。, 幕内上位も窺う西前頭5枚目まで番付を上げた2017年3月場所は、場所直前に右ふくらはぎの肉離れというアクシデントの影響もあって前半戦では5連敗を喫するなど不調であった[33]。後半戦で立て直したが、14日目に入門以来初となる負け越しが決定した。この場所9日目の貴ノ岩戦では流血するハプニングがあった[34]。しかし怪我をした中で7勝を挙げ、これにより「自分の力を出せれば負けない」という自信が付いた[12]5月場所は東前頭7枚目の地位で10勝5敗の好成績を残し、これは自身初の幕内二桁勝利。初の上位対戦となる西前頭2枚目に番付を上げた7月場所は、初日に新大関・髙安を破ると、3日目には横綱・鶴竜を押し出しで破り初金星を上げた。3日目の支度部屋では「最高の舞台に立てて、やる前から鳥肌が立っていた。(勝ち残りで)たまりに座っていても、何が何だか分からなかった。目頭が熱くなった」と横綱初挑戦にして金星を獲得したことに興奮気味であった[35]。この場所は14日目に石浦を押し出して勝ち越しを決め、三賞選考会で千秋楽の勝利を条件に敢闘賞の候補に挙がった[36]が、琴奨菊に渡し込みで敗れて自身初の三賞を逃した。北勝富士は三賞について「意識しない方がおかしい。嫌でも耳に入る。調子は良かったが緊張が勝った」と残念がっていた[37]。8月1日の夏巡業豊田場所では髙安の胸を借りて三番稽古を9番行った様子が伝えられている。最後の1番だけ押し出すことが出来たが、「僕の息が上がっていたので力を抜いて形にしてくれた」と謙遜[38]。その他にも夏巡業では上位陣にたっぷりと胸を借りた[39]。7日の本庄場所では同じ埼玉県出身の大栄翔と並んで握手会を行った[40]。引き続き上位対戦となる東前頭2枚目の地位で迎えた9月場所では、日馬富士を破り2つ目の金星を挙げる活躍を見せたものの、場所中に左手首を骨折した影響もあり12日目に負け越しが決まったが、13日目から3連勝して7勝8敗。本人は後に骨折した左手首について「その中でよく7勝できたな」と振り返っている[12]。続く11月場所は、7日目に初顔合わせとの横綱・稀勢の里を寄り切りで破り、3場所連続3つ目の金星を上げた。激闘に興奮した観客席からは、座布団の代わりに何故かトイレットペーパーが飛んだという[41][42]。その日の支度部屋では「前の2個より(力を)出し切ったし、取り口を覚えています。うれし涙は3個目だから、いいですよ」と笑顔で答えている[43]。10日目の千代大龍戦で勝ち越しを果たしたが、この日(11月21日)は父親の誕生日であり、北勝富士は「相手の引きは頭にあったので、前に前に意識して出ました。今日は父親の誕生日なんで、勝ち越せて良かったです。全体的に前に出ているんで良かったです。(兄弟子の)隠岐の海も勝ち越し?